「アル……アリエッタ……」

 クリスは、もう何度もそうして私の名前を呼んでいる。その後ろでは、炎上した車の
周りに人だかりができはじめている頃だった。そして、いつしか降り出した雨が、クリ
スと私の身体にゆっくりと落ち始めていた。

「……アリエッタ」

 クリスは、繰り返しそう呟く。人が集まって来ていて、中には話しかける人さえ居た
のに、全くそれには反応を返そうともせず、ただひたすらに私の手に、背中に、頬に触
れていた。その指は震えていて、多分周りにできた人だかりの、誰もがその行為がなに
を意味しているかは理解できていなかっただろう。でも、クリスがどんな想いでそうし
ているのかだけは、痛いほどによくわかっていたはずだった。

 ――私はそれを、遠くからぼんやりと眺めていた。感情は鈍くなり、驚きも、悲しみ
さえも薄れていくようだ。まるで空から、その光景を見下ろしているような気分になり、
実際にそれが気分だけでないことにも気がつく。

「ねえ……クリス?」

 私は、クリスと同じようにその名前を呼んでみるが、それに対する反応はなかった。
そうして何度も名前を呼んでいる内に、どうして自分の身体が見えているんだろうか、
とか、どうして私は宙に浮くようにしてこの光景を眺めているんだろうとか……そんな
当たり前の疑問も薄れていった。
 最後に残ったのは、クリスが、涙を流しているという事実だけだった。そして、それ
を悲しいと思う、最後の感情だけだった。

 その後のことは、良く覚えていない。自分の身体ではなく、クリスが乗せられた救急
車に便乗するように乗り込み、今はぐったりと目を閉じている彼の側にいた。その手に、
肩に、頬に触れようとしてみたけど、私は、自分の腕さえないのに気づかされただけだ
った。
 その頃にはおぼろげに理解はしていた。つまり自分は、死んでしまったんだと。

 その時の私がただひたすらに願ったのは、クリスが悲しまないで欲しいと、それだけ
だった。
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